シュツットガルトの惨劇-猪木、ローラン・ボックに惨敗-

シュツットガルトの惨劇-猪木、ローラン・ボックに惨敗-

 

2021年6月23日アメブロ掲載

 

-これは、昔やっていたブログ「タックスマニアの健康日記」やFacebookに掲載した記事の中で、評判が良かったものを再掲載しています-

 

1978年11月25日、ヨーロッパ遠征を敢行したアントニオ猪木は、未知の強豪、ローランド・ボックに惨敗(ざんぱい)を喫しました。

 

この事件は「シュツットガルトの惨劇(さんげき)」と呼ばれプロレスファンの間で語り草になっています。テレビ朝日は敢えて、これを実況中継し、プロレス実況放送にこの試合でデビューした古舘伊知郎は「猪木破れたあああ」と絶叫したのです。

 

帰国後に猪木はテレビ中継のインタビューに答えて「負けたとは思っていない。」と発言しましたが、明らかに猪木の完敗でした。

 

猪木を打ち破ったのは、ローラン・ボックのアマレスの技術に裏打ちされた妥協のない、恐ろしいプロ・レスリングの技の数々でした。フルネルソンの体勢から全体重を掛けて前に倒れる、フロント・スープレックスで頭から落とす、躊躇のない、文字通り脳天を突き刺すパイルドライバー等その一撃一撃は全盛期だったアントニオ猪木のレスリング生命を、たった1試合で、確実に縮めたと言えるでしょう。

 

2000年の夏、私はドイツのシュツットガルトへの小旅行を試みました。目的は全盛期のアントニオ猪木を叩き潰したローラン・ボックへのインタビューです。

 

伝手を頼ってアマレス関係者を中心に探し続けますが、現地でのローラン・ボックの評判は芳しくないものばかりで、「事業に失敗した」「詐欺で逮捕された」「もう、西ドイツにはいないのでは」という悲しい話ばかりでした。

 

実際、その頃、ローラン・ボックはシュツットガルトを離れてタイに潜伏していたようです。

 

とりわけ、私自身の事前調査と能力不足を痛感したのはシュツットガルトの惨劇の舞台となったギルスベルク・ホールを探したときです。「ギルスベルク・ホテル」はあっても、「ギルスベルク・ホール」は存在しない。現地の観光ガイドを20年以上やっているという女性等も「聞いたことがない」と口を揃えたのです。

 

もう一つ驚いたのが、一般人のプロレスへの認識の低さです。「ああ、昔あったかもしれない」程度の認識で、毎週のようにテレビ中継が続いている日本とは一般の認識も大きく違うことが分かりました。

 

プロレスマスコミの友人に東京への国際電話で確認するのですが、「あ、そうなの」と気のない返事、外国の有名会場なんて興味もなければ必要もないというでしょうか。

 

帰国後、キラー猪木のポスターをよくよく見て見ると愕然とさせられました。「キルスベルク・ホール(Killerberg Halle)」とあるではないか・・・・みつからない筈ですよね。テレビ朝日とプロレスマスコミは、キルスベルクホールでは語呂や印象が悪いので、「ギルスベルクホール」で統一したというのが真相のようです。

 

ローラン・ボックの話を現地シュツットガルトで聞いていて、アマレス関係者が口を揃えたのは、彼が極端な薬物依存症ではなかったのかという話でした。それは彼がアマチュア時代から続けていた興奮剤、ステロイドの過度の摂取であり、アマチュア・レスリングから追放される原因にもなったといいます。

 

シュツットガルトの惨劇と呼ばれたアントニオ猪木との試合は、彼自身も興業の失敗が重なり、メンタルをさらにやられ、猪木のファイトマネーさえ払えないほど追い込まれていたからにほかならないようです。来日時に猪木とのツーショットで見せた穏やかな表情は平常時の彼であり、メンタルをやられていた頃の彼は別人格、非情な、受け身の取れないスープレックスやパイルドライバーはそこから生まれたのかもしれません。

 

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